池間島は、明治末期からカツオ漁で栄え、自他共に認める海人(インシャ)の島です。しかし、漁業の衰退とともに、かつて2000名を数えた人口も、現在は500名ちかくまで減少し、“限界集落”の基準とされる高齢化率50%は目前です((H27年の国勢調査で48.3%)。1992年の池間大橋の架橋でも人口の流出は止まらず、2020年度の児童生徒数は小中あわせて26名に。学校の統廃合問題や医療サービスの悪化、可視化されにくい貧困の増加等々、離島という地理的制約とあいまって困難な課題が山積みです。
過疎・少子高齢化の弊害の主たるものは、
- 祭祀や年中行事等、共同体の一体感を涵養する催事の実施や、
- 清掃や補修等集落のメンテナンス活動が困難になること、
- 隣近所の共同体の相互扶助機能が低下すること、
- 公的な支援が届かない層、あるいは、傷病や障害等様々な理由から就労が困難な人々、収入が安定しない職種の人々の生活の自立度が著しく低下していくことです。
1と2はいわゆる「限界集落」の議論にてよく課題とされている問題です。3の問題は、かつて島内で融通できた財やサービス(子育て、建築・農作業、生活資材の融通など様々なレベルでの助け合い)が減少、または、商品として購入せざるを得なくなる状況を生み出しています。それは、4の人々により深刻な打撃を与えていくのです。
わたしたちは、「暮らしの自立度」というテーマを重視しています(その要素は、a. 必要最低限の経済力、b. 自己決定する権限と能力、c. 社会参加の実現度合い、とここでは定義しています)。この自立度は、1・2のコミュニティ活動の動員数等へ如実に反映されるなど、コミュニティの基礎体力ないし健全度に大きく関わる要素となります。そして、経済的困窮に伴う栄養失調、社会参加の減少や自己肯定感の低下、アルコール依存、ネグレクト、教育格差、介護依存など新たな課題も生まれてきます。「社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン)」と呼ばれる課題です。
その解決へ向けて地域に本当に必要なものは何かと考えてきました。地域おこしの先進事例も勉強させてもらいましたが、何かがしっくりきません。特産品を作る大きな工場や数百人単位で訪れるマス・ツーリズムは本当に成功事例なのだろうか?という違和感です。わたしたちの願いは、誰ひとり取り残さない地域社会の実現、すなわち暮らしの自立度の向上にあります。そのためには、特別な設備や技術、筋力がなくてもできる軽作業、いつでもどこでも自分のペースでできるたくさんの「ちいさな仕事」が必要だったのです。自分がまだ社会に役割があり、その能力があるという肯定感、その対価としての正当な稼ぎ、仲間との協力や競争を通じたかかわり、身体を動かすことで維持できる筋力など、あとからお話をお聞きすると、想像していなかったところまでその波及効果はあるようです。
具体的には、通常機械化される種割りの工程を、高齢者をはじめ、傷病、依存症、不登校など様々な課題を抱える人々に委託し、歩合に応じて買い取る仕組みを構築しています。わたしたちのオイルは、この「ちいさな仕事」によって、あえて生産効率を追求しないかわりに、「丁寧に一つ一つ人の手で割られた種から作られたオイル」という付加価値を獲得しているのです。
手探りでこの事業を始めたわたしたちに、オバアたちはこう言って励ましてくれます。「みんなでおしゃべりしながら種を割って、この油で(顔の)シワがのびて、白くなったら上等さぁ」、「若いひとたちががんばっているのを、80歳がこうやって手伝えるのは上等だね、どんどん割るから、俵で(種を)持ってきなさい!」。種割りのシーズンには、集落のあちこちから、ピシッ、パシッと種を割る音が聞こえてきます。