池間島は、海と共に生きてきた島です。しかし、この数十年で主幹産業である漁業は衰退し、高齢者は口をそろえて沿岸の生物種・量ともに減少していると言います。その原因は、橋や港の建設、浚渫工事の影響のほか、生活排水・農薬・化学肥料の流出、海岸林(海垣)の衰微があると考えられます。私たちが特に注目しているのは海岸林=海垣の存在です。
海垣は、琉球王府時代、島嶼環境の宿命的な課題であるエロージョン対策としてアダン等の植栽などで構築された琉球弧独自の在地技術です。人間の暮らしを守るための技術ではありましたが、結果的に健全に保持された海岸林が、陸域の栄養塩類の海域への流亡を抑制し、珊瑚礁の形成=生物多様性のホットスポットを育み保全してきました。
海岸林そのものは、陸域と海域の結節点となる極めて重要な生物の生息域を形成し、ヤシガニ、オカヤドカリ、オカガニ等の住処となっています。また、ウミガメが産卵できる砂浜を保全し、幼魚の揺りかごとなる魚附き林ともなってきたのです。これらの多面的機能が、近年の開発や外来樹種(主にギンネム)の侵入、保安林のメンテナンス放棄(未整備)等によって弱体化しています。
明治以前の近世期には、この海垣の維持管理が厳しく指導され、集落単位で植林や補修などのメンテナンスが行われてきました。戦後の市町村合併期、あるいは復帰以前まで、共同体の管理が続いてきましたが、保安林制度や字の共有地(総有地)の市町村への移管、住宅資材(カヤ)や燃料源(薪)の変化など、時勢の変化に伴って海垣の管理は住民の手を離れていきます。そこに乱開発を許す遠因ないし陥穽があったのかもしれません。
コンクリート家屋や農作物の品種改良によって、かつてほど海垣の重要性は意識されなくなったのかもしれません。しかしながら、琉球列島には「抱護」という歴史的な思想があります。人が暮らす土地や農地を、「気」が漏れないように天然の地形や植樹した樹木によって抱いて護るという考え方です。島そのものを抱いて護ってきたのが、他ならぬ「海垣」でした。
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